田中敏溥
昔は、多くの道が遊び場になったり、行商の店開きの場になったりして親密な場として使われていたこともあり、人びとの気持ちが街の開かれていたように思います。それに街を気遣う家のつくり方や生活の習慣がありました。
町に対して個々の家がやるべきことの暗黙のコンセンサスができていました。それは心意気であり、こだわりであったと思います。
現在の街ではそういう心意気やこだわりが消えてしまったように思います。なぜなのでしょうか。
あまりに急ぎ過ぎた、経済発展の代償と言えるのかも知れません。 
今、大切なのは、家そのものの質を考えることはもちろんですが、街の空間も自分たちの住まいの一部であると思う意識です。道が戸外の居間であり、家々の外壁や、塀や生垣が戸外の居間の内壁であり、門扉が各部屋に入るドアだという意識をどうしてつくりだすかということです。これは個々の家だけの問題ではありません。現在に生きる私たちが全体のコンセンサスとしてどのようにしたらつくりだせるのかという問題です。
このことを、設計作法として考えてみます。それは、シャープで大らかな家のつくり方と同時に、道行く人や隣家を思いやった家のつくり方を、設計の基本とすることだと思っています。
いま、家の設計作法を古くから歌いつがれている子供の遊戯歌―結んで、開いて、手を打って、結んで、また開いて、手を打って、その手をうえに…―という歌詞にからめて考えています。
結んで
 「結ぶ」というのは、二つ以上のものをつなぐことです。それも、よい状態になる為ためにつなぐのだと考えます。また、しっかり閉じる意味もあります。また、きちっと締めくくり、まとまりのある状態を作り出すという意味があります。
家のつくり方に即して、少し意味を拡大してお話します。
・街に対して責任をもつこと。思いやりをもっていること。
・隣家に対して心配りがされていること。
・敷地条件、土地条件をうまく読んで、それに応えていること
・平面と断面の構造的な整合性があること
・夏涼しく、冬暖かい家を基本としていること
・各部分、部材がきちっと納まっていること
・寸法の取り方にあまさがないこと
・空間にしまりがあること
ひとりよがりでない家、きちっと衿を正している家ということです。礼儀、作法が備わっている家という言い方をしています。
開いて
「開く」これも勝手に、家のつくり方に係わりもたせて言います
・その家のマイナス条件から解放されていること
・その家のプラス条件を十分生かして取り入れていること
・自然条件(四季)が享受できていること
・古い儀式やきまりごとにしばられていないこと
・道行く人や隣人に気持ちよい顔を与えていること
・メーカーの既製品の氾濫に振りまわされていないこと
・家の姿、空間が貧相ではないこと
基本的には結果として、その家が自由でのびのびとつくられていることだと思います。
結ぶべきところが結んだつくりになっていれば、その家は開いていると考えてもよいのですが、十分ではありません。開いていることを確認する必要があります。
おそらく結んだ、開いた、その家は、ほどよい緊張感があり、大らかさを備えた家になっていると思いますし、きっと街に対しても優しさを与えていると思います。
合せて
 シャープで大らかで、街に対して優しさを備えている家のつくり方のポイントはどこに あるのでしょうか。
 それは、空間と空間、物と物とが係わり合う場、つなぎ目のつくり方であり、その一番よい関係をみつけることです。
 一つの家を考えるときでも、つなぎ月はいろんな次元にあらわれます。
  街と家の境界、隣家との境界、外(自然、庭)と家との接点、空間(部屋)と空間(部屋)との接点、部分(部材)と部分(部材)との接点なのです。
 それぞれの境界の接点における、係わり方とつなぎ方を考えることが設計する上で大切なことだと思っています―ここでは、街や隣家との境界、外と内との接点について話をします―そのとき、考えるもとになるのが、その家の特殊性です。特殊性というのは、その家の持っている特別な条件です。よい条件も悪い条件もあります。
それぞれの家が持っている特殊性がつなぎ目に反映して個々の家が持っている特殊性が、つなぎ目に反映して個々の家々ができているのだと思います。ですから、設計とは、それぞれの家の特殊性を正しく見極めて、つなぎ目に生かしてやることです。道路や隣家や外部との関係でいいますと、切ってなおかつ優しくつなぐ方法でデザインしていくことです。
街が優しく美しくみえるかどうかは、家と道、家相互のつながり方によります。お互いに交わろうという手をさしのべているかどうかです。場合によっては、関係をはっきり切ることでもあります。自分勝手で、触手をもたない家は貧相です。道と家が、家と家が、自然(庭)と家が緊張感を持ちながら。優しく接している状態がよいのです。
設計の作法以上に易しい街がつくりだせるかどうかは、そこに住む人の間にコンセンサスができているかどうかによってきまります。最終的には、気持ち、意志に問題であり、お金の問題ではありません。
よく、もっとお金があれば、よい家、よい街ができたのだが、という話を聞きます。もしそうであれば、今世界一、二の経済大国だといわれる国の街が、優しく、ふくよかな顔を見せてくれないのは、どうしてなのでしょうか。
ともかく、住みたい、住み続けてみたい家や街を散歩し、自転車で廻ってみたくなるような街並みをたくさんつくりだしたいと思っています。